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J.D.攻略法その10 死ぬほどだるい?3L-充実の章 [J.D.攻略法]

 J.D.の3Lの生活は、死ぬほどだるいといわれます。すでに卒業後の就職先も決まっている学生が多く、あまり勉強をがつがつとする雰囲気ではありません。死ぬほど怖くそしてつらかった1Lと2Lの反動もあって、なるべく楽な科目を取り、単位を落とさない程度に遊びまくる学生もいます。その一方で、時間的・精神的な余裕を生かして、ジャーナルをはじめとする課外活動に力を入れたり、専門性の高い科目を取って実務に生かそうとしたりする学生も多くいるのです。

(1) ジャーナルの役員として
 
 前回お話したように、ジャーナルの役員に選ばれた私にとっては、だるいといっている暇はありません。Executive-Authorities-Editors(引用責任者)となった私、Rさん、Lさんの3人の最初の仕事は、夏休み終了直前に行われる新2L向けのオリエンテーョンでした。我々は新2Lの指導監督者として、仕事のやり方を一から説明してあげなければいけないのです。準備段階として、まずは我々3人の中での役割分担を話し合わなければいけないのですが、それが必ずしも簡単ではありません。

 Rさんはネブラスカ州出身で、Scholastic Excellence Awardの常連、自分は優秀というプライドに満ち溢れた白人女性です。一方Lさんは、ノースカロライナ州出身のアフリカ系アメリカ人女性で、これまた優秀、アフリカ系アメリカ人のリーダー的存在です。二人とも個性が強く、早口で自分の意見を主張します。二人の議論がヒートアップしてくると、私のリスニング能力では何を言っているのかわからなくなることもありますが、別に喧嘩しているわけではないので、私はそっと席をはずすことにしています。

 オリエンテーションでは、30人の2Lを集め、役割や仕事の仕方を説明しました。まだ何もわかっていない2Lは、漏れ聞くジャーナルの大変さに不安を感じているのか、我々の説明に聞き入っています。期日を守ることの重要性を繰り返し説明しましたが、相手は全員アメリカ人ですから、たとえ選ばれたメンバーといっても、どこまで期日を守るかは未知数でした。しばらくすると、案の定、アサインメントを期日どおりに提出しなかったり、仕事のやりかたがいい加減だったりする2Lが出てきます。怒るのは簡単ですが、彼らがモチベーションを失ってしまったら、結局苦労するのは我々です。ちょっとした管理職の気分で、褒めたり、なだめすかしたり、時には個別に呼び出してやんわりとお説教をすることもありました。お説教をするときは、もっぱらRさんとLさんにまかせ、私はフォロー役に回るのですが。

 2Lが提出したアサインメントは、3Lのヒラのメンバーによってチェックを受けたのち、我々の元に届きます。我々は2Lの指導監督だけでなく、論文の引用の正確性に最終的な責任を負っています。我々のところに来た段階での引用の形式的な正確性、すなわちブルーブッキングの正確性は、良くて50%といったところですが、それを100%に仕上げるのが我々の仕事です。また、実質的正確性についても、時間の都合上全ての引用元の文献をチェックすることは出来ませんが、2Lの判断が怪しい場合や我々に判断を求めてきている場合など、引用元の論文100ページを全て読み直すなどということもあります。

 我々がこれだけ引用の正確性にこだわるのも、それが論文の価値、ひいてはジャーナルの価値を大きく左右するほど重要だからです。あるとき、2Lが、「この論文はどうも引用元の記述を自分の意見としてそのまま使っている部分が多い」と言ってきたことがあります。別の文献の記述を丸ごと引用することは、それが直接の引用であると明示されていればルール違反ではありません。しかし、この論文の場合は、直接の引用であるとの明示がありません。そしてよく調べてみると、この論文そのものが、数本の論文をパッチワークのようにつなぎ合わせたものだということがわかりました。平たく言えば、盗作です。我々はすぐに著者にコンタクトし、論文を大幅に書き直してもらいました。このようなことは、ただ論文の本文を読んでいるだけではわかりません。何人ものメンバーが細かく引用をチェックしていくことによって、初めて発見できるのです。

 毎週月曜日の昼休み、役員10人全員が集まって役員会が開かれます。各部門の進捗状況の報告に始まり、運営をさらに効率よくするためにどう組織を変えていくべきか、2年に1度開催しているシンポジウムのテーマを何にするか、アサインメントの出来が悪い問題児にどう対処するかなど、ジャーナルの運営にかかわること全てが話し合われます。今年度の編集役員は穏やかな人物が多いのですが、意見が衝突することもあります。たとえば、上記の盗作事件については、出版を取り消すべきという意見と、論文のテーマそのものは価値があるから書き直してもらうべきとの意見に強く分かれました。大教室の授業での発言にはいまだに緊張する私でしたが、この役員会では発言が尊重されることがうれしく、毎週月曜日を心待ちにしている自分がいました。

 春学期になると、早いもので、もう来年度の役員を選ぶ時期になってきました。一年前、役員全員との面接で硬くなっていた自分を懐かしく思います。自分が面接官の立場になるというのは、日本で働いていた時期を含めても、初めての経験でした。同じ役員を希望するものでも、ジャーナルをどう運営していくべきか明確なビジョンとプランがあるものと、単に役員という名前が欲しいもの、面接をすればやる気があるかどうかは一目瞭然です。来年度の編集長は、常に質の高いアサインメントを提出し、他人の仕事も積極的にサポートしていたJ君にすんなりと決まりました。2Lの32人のメンバーを各部門に配置しなければならないのですが、票決は全員一致でなくてはならず、深夜まで議論は続きました。最後の32人目のスポットを決めた瞬間、シャンパンの栓が抜かれ、役員としての最後の大仕事をなしとげたことを祝いました。

(2) クラークシップへの挑戦
 
 ジャーナルのメンバーシップ、就職、各Awardの受賞と、様々な目標を達成してきた私にとって、最後の挑戦はクラークシップの獲得でした。クラークシップとは、卒業直後の学生が、裁判官の助手として1年間ないし2年間働く制度のことを言い、学生にとっては最大の目標といっても過言ではありません。裁判官とその歴代のクラークで形成されるグループは、米国法曹界のエリート中のエリートであり、一生の財産となるのです。ロースクールの教授、裁判官、全米トップの弁護士事務所の弁護士のレジュメには、かなりの確率で、「xx年、yy裁判官のクラークを務める」の一文が載っています。クラークシップを獲得するような学生は、一流の弁護士事務所から内定をもらっていますが、この場合弁護士事務所は内定を1年ないし2年遅らせ、入所時には大きなボーナスを払うことが通例になっています。
 
 クラークシップにも、「格」というものがあり、特に高く評価されるのは、連邦高等裁判所、連邦地方裁判所、州最高裁判所の3つの判事のクラークです。ちなみに、クラークの頂点である連邦最高裁判所のクラークは、卒業直後になることは出来ず、毎年連邦高等裁判所のクラークから選抜される仕組みになっています。バンダービルトからは、過去に3名の最高裁判事のクラークが出ています。
 
 一人の裁判官が雇用するクラークは2名程度で、連邦裁判所の裁判官は全国で300名程度、各州の最高裁判所の裁判官の数も限られています。そのクラークを目指して、全国の学生が熾烈な競争をするのです。クラークシップ獲得の可能性を決めるのは、第一にロースクールの格、第二にそこでの成績、第三に個別の裁判官との相性になってくるでしょう。たとえば、ロースクールの不動のトップであるYaleでは、50%近くの卒業生がクラークシップを獲得します。バンダービルトでは、毎年10人から20人程度の学生がクラークシップを獲得しており、少なくともトップ10%程度の成績が要求されるようです。私の成績は徐々に上がって、学期別トップ20%のDean’s Listにも入ることが出来ましたが、クラークシップ獲得は非常に難しい状況でした。学校のアドバイザーからも、留学生という立場でクラークシップを獲得するのは不可能に近いといわれました。それでもここまできて失うものはありませんから、とりあえず挑戦だけはしてみようと思いました。
 
 クラークシップ獲得のためには、まず履歴書と推薦状を送る裁判官を選ぶ必要があります。その数は少なくとも50から100は必要と言われます。そのうち一つでも二つでも面接の声がかかれば上々とされています。私は、少しでも自分に興味を持ってくれそうな、バンダービルト出身の裁判官・日系人の裁判官・テネシー州の裁判官を50人程度リストアップして書類を送りました。結果として、バンダービルト出身で、クラークも是非バンダービルトからとりたいという一人の連邦地方裁判所判事の面接を受けることが出来ました。面接の出来は悪くありませんでしたが、そのクラークシップはローレビューの副編集長であるAさんが獲得しました。ローレビューの副編集長のアメリカ人と、第二のジャーナルの編集役員の日本人とでは、全く勝負になりません。2007年度の卒業生のうち、いわゆる格の高いクラークシップを獲得したのは10名ほどで、そのほとんどがジャーナルの役員、例外的に裁判官との強いコネクションを持っている学生もいたようです。クラークシップを獲得できなかったのは残念ですが、もし自分が判事の立場であれば、よほど優秀な場合を除いて、外国人を採用することはないと思います。そういう状況で、たった一人であっても面接を受けることができただけで満足でした。

(3)ナッシュビルの楽しみ
 
 3Lになっても、一年間で28単位を取得しなければならず、またジャーナルの役員としての仕事もありました。それでも、1L・2Lのときよりもはるかに精神的・時間的な余裕ができ、学校以外の生活も楽しむことが出来るようになりました。ナッシュビルはNYやLAのような大都市ではありませんが、お金をかけずに気軽に楽しみを見つけることが出来ます。近辺にあるテニスコートやゴルフ場は無料もしくは格安ですし、大学やプロのスポーツ観戦も気軽に出来ますし、車があれば近郊へのドライブも楽しいものです。詳しくは、私を含む在校生・卒業生の書いた以下の記事や、その他の週替わり日記を参照していただければと思います。

ナッシュビルの街
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2006-08-21-3
ナッシュビルの四季
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-04-15
ナッシュビルのスポーツ観戦
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-04-19
ナッシュビル近郊への観光
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2006-10-06
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-02-19
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-04-11
卒業式
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-05-16

 さて、終わりよければ全て良し、というわけではありませんが、死ぬほど怖かった1Lと死ぬほどつらかった2Lも、今では良い思い出です。「J.D.攻略法」は、次回が最後となります。そこでは、この3年間をもう一度振り返るとともに、この先J.D.留学を考えている皆さんへメッセージを送りたいと思います。


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