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J.D.攻略法その6 死ぬほど怖い1L―春学期―失望の章 [J.D.攻略法]

 再びこんにちは。J.D.卒業生のMです。さて、希望に満ち溢れてスタートした私のJ.D.生活でしたが、いざ始まってみると、語学の壁と勉強のつらさからくる疎外感と劣等感とでいっぱいの日々でした。もっとも、秋学期の間はとにかく勉強をしながら走り続けるしかなく、そんなことに悩む暇もありませんでした。試験終了後は、あれだけ勉強したのだからもしかしてオールA、などと淡い期待を持っていた私でしたが、やがて現実を知ることになるのです。

(1) 春学期開始

 冬休み中は、特に宿題も出ないため、故郷に帰ったり旅行をしたりする生徒がほとんどです。私も2週間ほど日本に一時帰国し、家族や友人とリラックスして過ごしました。春学期の予習をするべきかとも考えましたが、帰国前にテキストが手に入らなかったことを言い訳として、どうせまた学期が始まれば勉強漬けになるのだからと、徹底的に頭を休めることにして、英語にも全く触れませんでした。

 1月の第二週から授業が始まるため、余裕を持って前週の木曜にナッシュビルに入りました。ところが、金曜の昼にはジムに行くぐらい元気だったのに、夜中に突然猛烈な吐き気と下痢に襲われてしまったのです。そのまま倒れてしまい、朦朧とする頭で、「ああ、これで入院にでもなって勉強ができなくなったらどうしよう」と、考えました。翌土曜の昼になって少し症状も治まり、眠りにつくことができたものの、起きたのは日曜の昼でした(24時間寝つづけていたのです)。月曜の朝8時からの民事訴訟法のアサインメントが終わっていなかったため、ベッドに寝たまま教科書を読まざるを得ませんでした。後になってニュースで、日本で同時期に、同じような症状を起こす「ノラウィルス」が流行していたことを知りました。

 秋学期の疲れがたまっていたせいもあるのか、どうも春学期中は体調が優れず、しばしば熱っぽい日が続くことがありました。しかし授業と一つ休むと、必然的にその予習復習も遅れてしまい、ただでさえ厳しい1Lのスケジュールの中で取り戻すのは不可能に等しいのです。そのため、一度休んだら終わりだという恐怖心から、授業や予習を休むことはできませんでした。

(2) 成績発表

 2月の上旬のある日の朝、秋学期成績を発表する旨のメールが送られてきました。ホームページにアクセスし、パスワードを入れると自分の成績が閲覧できるようになっているのです。一学期間の努力の成果が、クリック一つで分かってしまうというのは、なんとも味気なく、そしてまた恐ろしいものです。学校へ行くと、既にアクセスした生徒も多いようで、達成感と不満感の入り混じった微妙な空気が流れていました。ロースクールの暗黙のエチケットとして、あからさまに成績を話したり聞いたりするものはいませんが、各人の表情にあきらかな違いが見られます。エチケットをわきまえない友人の一人から「成績見た?」と聞かれましたが、「まだ怖くて見ていない」とだけ答えました。
 
 家に戻り、恐る恐るホームページを開くと、いきなり「3.xxx」という数字が現れました。いや、オールAであれば3点台後半のはずなのになどと思いつつ、各科目の成績を見ていきます。すると、Aレベルを取れたのはかろうじてライティングのみでした(Aマイナス)。全体として、決して悪くはないが良くもなく、はっきり言ってショックでした。あれだけの時間と労力を掛けて勉強してきたのに、はたしてこんな結果でロースクールに来た意味があるのだろうか、と真剣に悩みました。

 一般にロースクールの成績は相対評価で、当校では目安として60~70%程度の学生はBランク(Bプラス~マイナス)の成績をとるとされています。Aランクはせいぜい20%程度で、とくにA+となると基本的に各科目一人のみであり、Vanderbilt Scholastic Excellence Award という表彰の対象になります。不法行為法では私の隣に座っていた教科書に書き込みをしないD君が、ライティングの別のセクションでは親友のJ君が、それぞれ表彰されていました。また、総合成績が学年で上位20%に入ると、Dean’s listという表彰を受けます。発表されるのは上位20%のボーダーラインのみで、氏名は公表されません。1Lの上位20%は3.562、すなわち上位20%に入るには、ほぼAマイナス平均が必要とされるのです。

(3) 教授面談

 成績発表後、しばらくは何も手につかなくなってしまいました。もちろん、日々の予習をこなさなければ、授業にでる資格がありませんから、それだけは淡々とこなしてはいました。しかし、とにかくいい成績を取ろうと突っ走ってきた秋学期と違い、今後自分は何を目標にしていけばいいのか分からなくなってしまったのです。
 
 その後数週間たって、教務課から、試験答案の閲覧期間のお知らせが来ました。教授によっては、自分の答案を見直して、それでもなお疑問・不満がある場合は面談を受け付けているのです。契約法のオハラ教授からは、模範解答と、例によって見直しおよび訪問に関する詳細な手続きメモが送られてきました。何をいまさら、という気持ちもありましたが、一方で、まだ留学は長いのだからもうすこし前向きにならなければいけないし、とりあえず失うものは無いから、と考え直し、教務課に向かいました。
 
 自分が何を書いたか既に忘れつつありましたが、実際に自分の答案を見直してみると、我ながら良く書けているのです。自分で書いた答案ということを差し引いても、分かりやすくまとまっていますし、模範解答に載っている論点もほぼすべて押さえていました。そこで、契約法のオハラ教授と不法行為法のヘッチャー教授に面談を申し込みました。リーガルプロセスについては、教授が面談を受け付けていないかわりに、A+の答案が名前を伏せて添付されていました。読んでみると、とにかく長い。明らかに私の2倍以上は書いてあり、しかも、小難しい哲学的な議論が延々と展開されていて、よくこれを採点する気になったな、と思うくらいでした。
 
 まずオハラ教授を訪問しました。教授は得点の分布図を私に示してくださり、それによると私の素点はちょうど平均点。私の答案の特徴として、まず量が決定的に少ないとのこと。「あなたの答案は9ページ。私は2つのセクションを担当しているが、10ページ以下しか書いていない生徒は、あなたを除いて全員がCをとっている。あなたの場合は、書いているところでは的確にポイントを捉えており、オーガニゼーションも良い。契約法もきちんと理解できている。タイプミスや文法上のミスも少なく、(これはお世辞でしょうが)ノンネイティブが書いたものかどうかは分からない。。。
 
 一方で、Aレベル答案は最低でも20ページ。自分は、チェックリストを使って採点しており、基本的に加点方式。よほど間違ったことを書かない限り減点はしないので、必然的に量が多ければ点も高くなりやすくなる。自分でもこの採点方法がベストとは思わないが、大量の答案を短期間で採点しなければならない都合上、他にいい方法がない。あなたがノンネイティブとして、多大な苦労をしていることは理解できるし、その地道な勉強スタイルを変える必要は全く無いと思う。要は、読み書きに関するスピードの問題である。事例問題よりも、政策的問題、すなわち考える力を要求する問題のほうが良く出来ており、分析力のある証拠だ」とのこと。忙しい中で時間をとって懇切丁寧に指導してくださった教授に感謝するとともに、これからやるべきことが見えてきたような気がしました。

 不法行為法のヘッチャー教授も、大変親切な対応でした。私の答案を見るやいなや、「こりゃ、明らかに少ないよ。重要論点はすべて押さえているけど、A答案に比べると、長さと分析の深さが足りない。授業で当てたときのやりとりからも、不法行為法はきちんと理解できていると思うし、英語にも問題はない。今後については、とにかくエッセイを書く訓練を普段からして、スピードを少しでも上げるしかない。まあ私にしてみれば、ノンネイティブでこの答案が書けるというのは、逆に驚きだがね」とのこと。
 
 最後の一言はなんとも失礼な言い草ですが、哲学博士号を持ち、イェールロースクール、アーノルド・ポーター弁護士事務所、とエリート街道をひた走ってきた教授にとっては、なぜ私のような外国人がわざわざJ.D.を取ろうとしているのかが、よく分からないのかもしれません。いずれにせよ、なぜ私がAを取れなかったのかについては、納得することが出来、両教授ともきちんと話すことができてよかったと思いました。
 
 調子に乗った私は、最も成績の良かったライティングについても、ローズ教授を訪問し、コメントを求めました。「クラスでの様子や、提出物から判断するに、あなたがクラスの中で最も頑張っているのはよく分かる。クラス25人中Aレベル(A+, A, A-)をとったのは6人だけである。提出物は、ワンオブザベストであり、A+を取った学生と比べて、遜色ない。しかし成績はあくまで相対評価で差をつけなければならないので、あえて違いを言うとすれば、ちょっとした表現の仕方、冠詞の使い方など。構成の仕方は、一番しっかりしている。ちょっとした違いの積み重ねがA-とA+の違いになってしまっているが、差を埋めるのはそれほど難しくないと思う。」とのアドバイスを頂きました。
 
 アメリカ人初の日本の司法試験合格者であり、コロンビアロースクールのJDプログラム卒業者でもある、「リーガル・エリートたちの挑戦」の著者、ダグラス・フリーマン氏は、次のように語っています。「(最初の学期の成績は、A、A-、Bだった。人生の半分を過ごした)日本で生まれ育ったハンディを克服するために勉強にきているのだから、最初からオールAですべてをマスターしてしまったらわざわざ三年間ロースクールにいる意味がないだろう。苦い思いに打ちひしがれながらも、来学期また頑張ろう、という気持ちが湧いてきた。」Aレベルを二つもとっておきながら、なんて贅沢なとも思いますが。。。一方私は、今までの人生のすべてを日本で過ごしてきたのですから、そのハンディはフリーマン氏の2倍であり、それだけ克服のしがいがある、と考えるようにしました。

(4) たった一人の外国人

 一応気持ちを切り替えて日々の勉強をしていたものの、あれだけ勉強してこの成績だし、周囲もみな勉強しているから、この差は一向に縮まらないのではないかという不安はぬぐいきれませんでした。それに拍車をかけたのは、セクション75人のうち、言葉の不自由な外国人は一人だけであるという孤独感と劣等感でした。
 
 そもそも一学年225人のうち、留学生は私を含めて6人しかいません。しかもその内訳も、カナダが1名、オーストラリアが1名、ナイジェリアが1名、中国が2名で、英語圏出身もしくは留学経験者でないのは、私と中国からの留学生R君(秋学期に一緒に勉強したS君は米国の大学院を卒業しています)だけでした。R君とS君は私とは違うセクション(クラス)に所属しているため、授業は別々でした。私のセクションにはナイジェリアからの留学生O君がいましたが、彼は米国の大学および大学院を卒業していて英語に問題はなく、授業でも積極的に発言していました。つまり、私のセクションで言葉が不自由なのは私だけだったのです。

 同じセクションの学生とはいつも一緒の授業を受けていますから、少しずつアメリカ人の友人も出来てきました。しかし一方で、クラスでの発言もしどろもどろな私に対して、挨拶しても無視したり、冷たい態度をとったりする学生も少なからずいました。1年生の成績が将来を決める競争的なロースクールにおいて、自分のメリットにならないものとは付き合わないという態度は、ある意味当然のことといえるかも知れません。そんな私の状況も、あることをきっかけとして少しずつ変わってきました。

(5) 民事訴訟法中間試験

 春学期は、民事訴訟法・刑法・憲法I・物権法・ライティングの5科目16単位が必修です。勉強と英語にはやや慣れてきたものの、負担は決して軽くならず、科目が一つ増えたためかえって重く感じました。そのうち民事訴訟法では、ロースクールの授業としては珍しく、3月上旬にエッセイ2問から成る1時間の中間試験が行われました。試験が始まるやいなや、周囲の学生は相変わらず猛烈な勢いでタイプを始めます。秋学期試験後の教授面談からも、自分の答案には量が絶対的に不足しているとわかっていましたが、無理にスタイルを変えずに自分に出来ることだけをやろうと思って、答案構成に時間を使って簡潔な答案を書きました。

 これではまた良い成績は望めないな、と思いながら2週間後に結果を受け取ると、なんとそこには輝く「A」の文字が。Aはこの試験における最高点で、セクション75人中Aをとったのは私を含めて3人だけでした。担当のSyverud(シブルド)教授に話を聞きに行くと、「決して流暢な英語ではないが、それは採点対象ではない。必要なことがすべて簡潔に書かれており、最も良い答案の一つである」とのこと。秋学期の成績があまり良くなかったことを話すと、「それは教授によるスタイルの違いとしか言いようがない。私の好む答案はこういう答案なので、気を抜かずに期末も頑張るように」と励ましてくださいました。目標と自信を失いかけていた時期だっただけに、とても心強いアドバイスでした。

 ロースクールでは、お互いの成績や試験結果を聞いたり話したりしないという、暗黙のルールというかエチケットがあります。特に1Lの成績は将来を決定付けるほど重要といわれており、みな成績に敏感になっているからです。しかしこのときばかりは喜びを押さえきれず、一番仲の良かったJ君にこっそり答案を見せてAを取ったことを話してしまいました。J君は前期にライティングの最優秀賞を受賞していたので、良い成績を見せても別に妬まれないだろうと思ったのです。J君は私の今までの苦労をなんとなく察しており、また私ができる学生だとは思っていなかったようで、励ましてくれるとともに大変驚いていました。

 その後しばらくは特に大きなイベントもなく過ごしていましたが、春学期末試験も近くなった4月に入り、J君が突然、「二人で勉強しないか」と言ってきました。彼は今までG君およびC君とスタディーグループを作って勉強していたのですが、議論がどうもかみあわずあまり効率的でないとのこと。民事訴訟法のA答案をこっそり見せたことが効いたのか、「君となら本質的な議論ができそうだ」と言ってきます。こちらとしては大歓迎で、早速お互いのアウトラインを交換して、重要論点について質問し合いました。過去問についても互いに解答を作って検討し、実際の試験でも話し合ったところが出るなど、良い結果に繋がりました。しかしそれ以上に、ネイティブのアメリカ人、しかも能力的にも人格的にも尊敬できる友人が、自分のことを認めてくれたのが嬉しかったのです。

 しかしそれでも、この時点では多くのクラスメイトの私に対する見方はそれほど変わっていませんでした。特にJ君とかつてスタディーグループを作っていたG君とC君などは、表面上は挨拶などしてくれるのですが、私とJ君が一緒に勉強している姿を見て、いかにも納得がいかないといった表情を見せるのでした。

(6) 模擬裁判

 ライティングの授業では、期末試験の代わりに模擬裁判が行われました。春学期を通して作成した連邦最高裁に提出する仮想の訴状を使って、現役の裁判官・検事・弁護士といった実務家の前で、原告側と被告側に別れて討論を行うのです。私は同じセクションのTさんとチームを組むことになり(苗字のアルファベット順)、別のセクションの学生二人と対決することになりました。Tさんはアラバマ州出身の大柄なアフリカ系アメリカ人女性で、将来は訴訟弁護士を目指しているそうです。

 彼女とは今までにも何度か課題を一緒にやるチームを組んだことがありましたが、さばさばしたマイペースな性格で、わたしが外国人ということもあまり気に留めてない様子なので、大変にやりやすかったのを覚えています。模擬裁判の前にTさんおよび対戦相手と訴状の交換を行ったのですが、思ったよりもレベルは高くなく、一般的な学生の提出物はこの程度なのだな、と安心しました。特にTさんの訴状はお世辞にも褒められたものではなく、授業で強調されていたポイントを完全に無視しているし、引用(ブルーブッキング)は間違いだらけだし、本文は12ページまで許されているところを10ページしか書いていません。「あなたの訴状、なかなかいいポイントを押さえているわね」と褒めてくれたので、とりあえず、「君の訴状も、さまざまな論点がバランスよく配置されているよ(つまり、焦点がぼやけていて、何を言いたいのかよく分からない)」と返しておきました。
 
 本番の模擬裁判は、地元ナッシュビルの検事・弁護士、および別セクションを担当する教授の3人を裁判官として行われました。各自の持ち時間は質疑応答も含めて7分であり、私は、弁護側の一番手として陳述を行いました。裁判官と参加している学生のすべての目が集中する中で、とにかく落ち着くことを言い聞かせ、あえて細かな論点には触れず、自分の言いたいポイントを何度も分かりやすく繰り返すことを心掛けました。

 驚いたのは、Tさんの陳述です。訴状の出来からして、この子大丈夫かなと不安に思っていたのですが、いざ始まると、「まず第一に・・・たとえば・・・そして第二に・・・」と、驚くほど論旨が明確です。裁判官役もフムフムと納得顔で聞いており、本人も背筋を伸ばして堂々と見事なものでした。相手側意見に対する反証も彼女の役割でしたが、「あいつら絶対これ言ってくるわよ」と言っていたポイントを見事に相手側が指摘してきたので、完璧な対応でした。「本番に強い人」というのはいるのです。

 裁判の最後には、裁判官役からの批評がありました。私に対しては、男の検事の方が、「たぶん君にとって英語は第一言語ではないと思うのだが、たとえ第一言語であったとしても、これ以上明確にするのは不可能といっていいくらい、分かりやすい陳述だった」と褒めて下さいました。努力が評価されたのは素直に嬉しかったものの、一方で、まだまだ自分は外国人として見られているのだな、と感じました。

 さて、そんなわけでアップダウンを繰り返しつつも、どうにか軌道に乗ってきた感のあるロースクール生活です。そして春学期の期末試験終了後には、ジャーナルという学生が編集する雑誌の編集委員になるための選考会がありました。これが私の今後をさらに大きく変えていくのですが、それはまた次回のお話で。。。


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